リズム学園が歩んできた軌跡
あゆみ
明治20年(1887)
漁村の山森丹宮氏、北海道で最初に本格的な稲作作りを始めた中山久蔵氏により境内地の寄進を受け、3月7日苫小牧中央院の千歳郡漁村出張説教所として開設された事に始まります。
当時、開拓者の入植が急増し、ただその日をぶらぶらと過ごすのみであったという子弟の教育を求める声が上がります。
人々は開拓の厳しく貧しい暮らしの中にありながらも、教育の必要性を訴え、大安寺一世加藤金師に要請して、「私設簡易科洞門小学校」が開設されました。これは恵庭における最初の教育施設であり、現恵庭小学校の前身となりました。
実際に教員を務めたのは、加藤師が派遣した松樹良光師(明治21年5月〜同30年5月まで奉職)で、僅か9坪程の建物に2〜30人の子どもが集まったと言われています。
教室での一コマ
昭和47年 恵庭幼稚園 園舎
沿革
[昭和33年]
大安寺付属 リズムの学園 恵庭幼稚園認可申請提出
園長:小山勇蔵氏就任(千歳高等学校初代校長)
大安寺本堂を仮園舎として入園式を挙行(定員120名)
大安寺付属 リズムの学園 恵庭幼稚園の認可を受ける
[昭和36年]
園舎増築のため 定員280名となる
[昭和38年]
園舎増築のため 定員320名となる
[昭和39年]
第2代園長 押見香積氏就任
[昭和42年]
第1期・第2期増築園舎を解体し、2階講堂付き園舎を満10周年記念事業とし着手し完成
[昭和43年]
園舎完成 満10周年記念式典・祝賀会挙行
[昭和48年]
園舎増築のため 定員400名となる
[昭和53年]
学校法人リズム学園設立(登記完了)
[昭和60年]
防衛施設局、恵庭市の全面的な協力を得、補助事業により恵庭幼稚園改築工事
[平成16年]
第3代園長 押見俊哉氏就任
[平成19年]
第4代園長 工藤時恭氏就任
[平成20年]
開園50周年記念式典挙行・子育て支援事業開始
[平成21年]
第5代園長 井内聖氏就任
[平成23年]
学童保育開始(無認可)
[平成24年]
北清の森 借用
園舎改修工事(薪ストーブ他)
[平成25年]
北清の森 整備
[平成26年]
恵庭市こすもす保育園運営受託(定員90名) 初代保育園長 佐藤洋子氏
北清の森にて森の活動スタート
[平成27年]
こすもす保育園駅ビル移転 第2代保育園長 井内聖氏就任
民間学童保育ONESTEP 運営開始 代表 渡邉尭宏氏
[平成28年]
恵庭幼稚園第6代園長 清水秀子氏就任
第3代こすもす保育園長 村松良太氏就任
公私連携幼保連携型認定こども園はやきた子ども園開設(定員150名)
初代はやきた子ども園長 井内聖氏
英語教育導入(ALT3名配置)
[平成29年]
恵庭幼稚園開園60周年記念式典挙行
安平町児童館/放課後児童クラブ運営開始(指定管理)、安平町森林取得
[平成30年]
恵庭市学童保育運営受託、安平町スクールバス運行受託
北海道胆振東部地震(震度6強)により安平町はやきた子ども園被災(死傷者なし)
[令和元年]
小規模保育所恵庭保育園開設(定員18名)初代園長清水秀子氏
あいおい子ども園開設(恵庭市こすもす保育園民営化、定員90名)初代園長村松良太氏
恵庭市学童保育3教室運営受託、恵庭幼稚園満3歳児クラス開設
はやきた子ども園第2代園長 福田剛氏就任
恵庭幼稚園 第7代園長 井内聖氏 就任
[令和3年]
民間学童保育 放課後スクールONESTEP 代表 池田貴彦氏 就任
[令和5年]
恵庭幼稚園 第8代園長 髙橋大甫氏 就任
[令和6年]
恵庭幼稚園 第9代園長 清水秀子氏 就任
リズム学園 学園長 井内聖氏 退任
リズム学園 統括園長 村松良太氏 就任